山は、その人間の正体を炙り出す。
山には全てがあります。
思想も教育も芸術も経済もエロチシズムも、全てがあります。それは山こそが死生の縮図に他ならぬからです。その命のあり方に立脚し、山から学んだことを多くの分野で具現せんと挑む「木こり・山守」の集団が九戸山族です。
混迷極める世界情勢の大流の中、国内も同様で、決して対処療法ではなく根本療法が求められています。根本的「軸」が必要なのでしょう。それを築く鍵は、森林率世界第3位の日本、その中山間地の再生、つまり山林の再生に他はないと考えます。
九戸山族は、環境問題、経済問題、人口問題、教育問題等、この地域一帯、この国が抱える問題へ根本的な一石を投じ、活路を見出さんとするものです。即ち、環境保全に重きを置いた森林業の実践と推進を軸としながら、本質的「自立」、本質的「持続可能」な地域活性化を狙いとしています。
加え、奥底にある問題を掘り起こし、古来より潜在するこの地域この国の本来の「顔」を現代に蘇らせること(二重三重の捩れを正し、真の姿)を願い、設立致しました。
「山をデザインすることは国をデザインすること」
既に世界の潮流は「木の時代」へと進んでいます。
言うまでもなく、空気を吸い、水を飲む限り木へ関わらない人間はこの地球上に存在しませんが、改めて世界はそれを認識し始めました。中でもセルロースナノファイバーは産業革命以降、最も大きな革命であろうと言われています。
「木の時代」という潮流はドイツが発信源になりましたが、実は消滅寸前ながら微かに残っていた古来日本の林業を(わざわざ奈良県吉野地方等へ何年も足を運び)学び持ち帰ったものです。
3.11の例を出すまでもなく、世界的に産業革命以降の文明、営利至上主義社会への疑問は明らかで、中でも環境への意識、公への意識は高まるばかりです。国内では、西日本を中心に日本古来の林業が見直され、現代にマッチさせた"新たなる林業"が全国的にうねり、国政も動きつつあります。
老若男女、総じて誰でも、安価で始められる林業。そして、個人レベルで、経済社会へマッチング可能な林業。また、"林"は人間の手で管理されているところ、"森"は自然に木が生えているところという使われ方をする場合がありますが、そういう意味で天然林を活用する森林業。
鍵は、個々人が己の頭で考え、己が判断し、己が責任を持って、100年先、200年先を見据えることです。いわば本質的な「自立心」が問われています。
温暖化、鳥獣被害、土砂崩れなどの災害、地方人口減少、歯止めがきかない精神障害者の増加等など、これらを防ぐ第一歩目が健全な山作り(自然との共生)、換言すれば、死生の軸は人間側にはないと身体で汗を介して知ることと言えます。
決して人間の目先の都合だけで、ハゲ山や放置にせず、かつ重機に依存せず、一本一本の木を大切に伐り出し、枝から根まで全て丁寧に使い切り、再生させ続ける森林業の実践こそ鍵であると考えます。
そのひとカケラを皆さまへお届けできれば幸いです。